「推し活を卒業する」って、本当にできるんだろうか。12年間、毎日のように彼女たちの姿を追いかけて、ライブに行って、泣いて笑って、気づけば人生の半分以上をT-ARAと共に歩いてきた。そんな私が、ある日突然“家族”と呼んでいた彼女たちを手放す決断をした。手放した先に何があったのか——正直、最初は真っ暗だった。でも今、その景色は思っていたよりずっと澄んでいる。
なぜ「家族」と呼んでいたのか、改めて考えた
T-ARAとの出会いは2011年。ちょうど「Roly-Poly」が大ブレイクした頃で、私は大学1年生だった。友達に誘われて見た音楽番組で、彼女たちのキレッキレのダンスと、どこか寂しげな表情に一瞬で心を奪われた。それから毎週のように動画を漁り、気づけば韓国の音楽サイトを翻訳しながら追いかける日々。気づけば彼女たちは、アイドルというより「遠くにいる姉妹」のような存在になっていた。
推し活が日常に溶け込んでいた12年間
朝起きたらTwitterでメンバーの新着投稿をチェック。通勤中は最新アルバムをリピート。帰宅したらファンサイトの掲示板を読んで、週末はライブの生中継やイベント配信に参加する。推し活は私の生活の“基盤”だった。特に2017年に活動が縮小した時期は、ファン同士で支え合いながら「また必ず戻ってくる」と信じていた。その絆が、まるで家族のように感じられたんだと思う。
手放すきっかけは「完璧な卒業式」だった
転機は2023年、ソウルで行われたデビュー14周年記念コンサートだった。最後の曲「TIAMO」が流れた瞬間、私は涙が止まらなかった。でもその涙は「嬉しい」よりも「満足した」に近かった。あの瞬間、心のどこかで「もう十分だ」と呟いている自分がいた。推し活を続けることが目的になって、本当に彼女たちが好きなのか、それとも“推している自分”が好きなのか、分からなくなっていたのだ。
手放した後に襲ってきた「空白」と向き合う
卒業を決めた翌日から、私は猛烈な喪失感に襲われた。いつものようにTwitterを開こうとして、手が止まる。LINEのファングループの通知が来ても、開く気になれない。まるで長年住んだ家を引き払ったのに、まだ鍵を返していないような、不思議な浮遊感があった。
「推しがいない」時間の埋め方は、意外とシンプルだった
最初の1ヶ月は、本当に何をしていいか分からなかった。だから無理に何かを埋めようとせず、あえて“何もしない”時間を過ごした。休日はカフェで本を読むだけ。夜は散歩しながら音楽を聴く。最初は退屈で仕方なかったが、2週間もすると「あ、こんな音が聞こえたんだ」と、街の雑音や自分の呼吸に意識が向くようになった。推し活に使っていた時間が、自分自身の感覚を取り戻す時間に変わっていった。
実は「家族」という言葉に逃げていた自分に気づく
T-ARAを家族と呼んでいた頃、私は彼女たちの幸せを願う一方で、自分の人生の選択を彼女たちに預けていた気がする。「推しがいるから頑張れる」というのは、言い換えれば「自分一人では頑張れない」という弱さの裏返しだったんだ。手放して初めて、私はずっと“誰かの応援”を理由に、自分のキャリアや人間関係から目を逸らしていたことに気づいた。彼女たちは何も悪くない。むしろ、気づかせてくれたことに感謝している。
手放した先に見えた「新しい推し活の形」
T-ARAを手放したからといって、彼女たちのことを嫌いになったわけではない。今でも新曲が出れば聴くし、メンバーの近況はチェックしている。ただし、そこに“義務感”はもうない。応援するのも、しないのも自由。その距離感が、逆に彼女たちを純粋に楽しめるようになった。
「卒業」は終わりではなく、関係性のアップデートだった
今は年に1回、大きなコンサートがあれば行く程度。それ以外は、たまにYouTubeで昔の映像を見て「懐かしいな」と笑うくらいだ。すると不思議なことに、以前より彼女たちの音楽が“音楽”として響いてくる。推し活に必死だった頃は、歌詞の意味やパフォーマンスの細部ばかり分析していたけど、今はただ「いい曲だな」と素直に感じられる。家族から“友達”になったような、そんな自然体な関係性が心地いい。
推し活で得たものは、決して無駄じゃなかった
12年間の推し活で、私は韓国語を覚え、ソウルの街を一人で歩けるようになり、全国に友達ができた。あの経験がなければ、今の私はいない。だから「無駄だった」とは思わない。むしろ、全力で推したからこそ、手放すタイミングも自分で決められた。推し活は“沼”と言われるけど、本当の沼は「推しがいるから自分は幸せ」と思い込むことだったのかもしれない。
今、同じ悩みを抱えるあなたへ伝えたいこと
もしあなたが今、「推し活を辞めたいけど、辞めたら自分が壊れてしまいそう」と感じているなら、一度だけ試してほしいことがある。それは「3日間、推しの情報を完全に遮断する」こと。通知をオフにして、SNSも開かない。最初は禁断症状のようにソワソワするけど、3日目には「あれ、意外と大丈夫かも」という感覚が生まれるはずだ。
手放す勇気が、次の「好き」を見つける近道になる
推し活は決して悪いことじゃない。でも、それが人生の“主役”になってしまったら、あなた自身の物語が前に進まない。T-ARAという家族を手放して、私はようやく自分の人生の主人公になれた気がする。今は新しいアーティストを探すでもなく、ただ静かに自分と向き合う時間を楽しんでいる。いつかまた、心から「推せる」存在に出会えたら、その時はもっと軽やかに、もっと自由に応援したい。
推し活を卒業することは、推しへの裏切りじゃない。むしろ、あれだけ愛した時間を“ありがとう”と胸にしまい、次の一歩を踏み出すことこそが、本当の意味での応援の形なのかもしれない。あなたの推しも、きっとあなたが幸せに生きている姿を一番喜んでくれるはずだから。