「家族」って言葉、アイドルが簡単に使っちゃいけない言葉だと思ってた。12年間T-ARAを推してきて、メンバーがファンに向かって「私たちは家族です」って言うのを何度も聞いてきたけど、正直その度に「はいはい、定型文ね」って心の中で流してた自分がいた。
でも先週末、とある配信イベントで、その“家族”という言葉の意味が初めて揺らいだ。いや、揺らいだっていうより、言葉の重さに押しつぶされそうになった夜があったんだ。
今回は、その夜に何があったのか、そして12年オタクの私がなぜ「家族」を疑うことになったのかを、ゆるっと語っていく。
きっかけは、たったひとつの「おかえり」だった
その日は、T-ARAが久しぶりにメンバー全員で顔を揃えるオンライントークイベントだった。日本での活動再開が発表されてから、ファンの間では「今度こそ本当に帰ってくるんだ」という期待と不安が入り混じってた時期。私も例に漏れず、スマホの前で正座して待ってた。
配信が始まって、メンバーが一人ずつ手を振って登場する。ヒョミンが「ただいま」って言った瞬間、チャット欄が「おかえり」で埋め尽くされた。その光景を見たとき、私はなぜか涙が出た。12年間、何度も「ただいま」と「おかえり」を交わしてきたはずなのに、その日は特別に感じたんだ。
理由はわかってる。この12年間、T-ARAは解散の噂、メンバーの脱退、スキャンダル、日本と韓国の間での活動休止… 何度も「終わり」を突きつけられてきた。でもその度に、メンバーは「私たちはまだ終わらない」って言い続けてきた。その「まだ」が、ようやく「これから」に変わった瞬間だったんだと思う。
「家族」という言葉の裏にある、12年の時間
私がT-ARAを推し始めたのは、ちょうど「Bo Peep Bo Peep」が日本で大ブレイクした2011年。あの頃はまだ10代で、推し活の「し」の字も知らないただの音楽ファンだった。でも気づいたら、ライブに行き、ペンライトを振り、韓国まで遠征するような立派なオタクになってた。
その間に、T-ARAは何度も「家族」という言葉を使ってきた。ファンに向けて「私たちの家族」と呼ぶこともあれば、メンバー同士を「家族みたいな存在」と表現することもあった。最初は「アイドルが家族って言うのは、ファンを繋ぎ止めるための方便だろ」って冷めてた。
でも、12年経ってわかったことがある。あの言葉は、メンバー自身が一番信じている言葉だったんだ。
メンバーが「家族」と呼び合う理由
T-ARAは、他のグループとちょっと違う歴史を持ってる。デビュー当初から何度もメンバーチェンジがあって、最終的に今の4人(キュリ、ウンジョン、ヒョミン、ジヨン)に落ち着くまでに、かなりの紆余曲折があった。普通のグループなら、そこで結束がバラバラになってもおかしくない。
でも彼女たちは、むしろ逆だった。試練が増えるほど、絆が強くなっていくように見えた。韓国での活動が難しくなって、日本に活動の場を移した時期も、メンバー同士で支え合ってたんだと思う。彼女たちにとって「家族」は、血の繋がりよりも、一緒に地獄を見てきた者同士の連帯感を指す言葉だったんだ。
ファンもまた「家族」に含まれていた
そして、その「家族」の輪には、ファンも含まれてた。ライブでメンバーが「みんながいるから、私たちは頑張れる」って言うとき、それは決してセリフじゃなかった。実際、T-ARAのファンは「QUEEN'S(クイーンズ)」っていう名前で呼ばれてるんだけど、彼女たちはいつも「QUEEN'Sは私たちの誇り」って言ってた。
でも、私はその言葉を本気で信じてなかった。アイドルとファンの関係なんて、所詮はビジネスだと思ってたから。チケットを買って、グッズを買って、応援する。その対価として、笑顔と歌をくれる。それで十分だと思ってた。
疑いが確信に変わった夜
で、冒頭の配信イベントの話に戻るんだけど、その日、最後にメンバーが一人ずつファンにメッセージを送るコーナーがあったんだ。
ジヨンが「私たちは、みなさんと家族になりたかったんです」って言った。そして、「家族って、離れていても、会えなくても、ずっと心の中にいるでしょ? 私たちは、その存在になりたかったんです」って続けた。
その瞬間、私はスマホを握りしめたまま固まってた。だって、それは「ファンとアイドル」の関係を超えた、もっと深い何かの宣言だったから。「あなたたちはお客様です」って言われるより、よっぽど重い言葉だった。
12年分の「おかえり」が報われた瞬間
私はその日、自分のオタク人生を振り返ってた。深夜に韓国の音楽番組をリアルタイムで見るために、時差と戦った日々。ライブのチケットが取れなくて、泣きながら一般発売に挑んだ日々。メンバーが体調を崩したとき、心配で仕事が手につかなかった日々。
それら全部が、この「家族になりたかった」という言葉で報われた気がした。彼女たちは、ファンを「顧客」として見てなかった。本当に、家族のように思ってくれてたんだ。
そして、私は気づいた。私が「家族」という言葉を疑ってたのは、T-ARAが本気で言ってることを知りたくなかったからだ。だって、本気で家族だと思ってる相手が、もし離れていったら、それこそ本当の「家族の別れ」になるから。疑ってる方が、傷つかずに済むと思ってた。
推し活における「家族」の新しい意味
今回の出来事で、私は推し活の定義が変わった気がする。これまでは「推しを応援する」ことが目的だったけど、これからは「家族として、共に生きる」ことが目的になった。
もちろん、現実的な話をすれば、アイドルとファンは永遠に会えないかもしれない。彼女たちには彼女たちの人生があるし、私たちには私たちの生活がある。それでも、心の中で「家族」と呼べる存在がいるっていうのは、すごく心強いことだと思う。
距離が離れても、心は繋がってる
T-ARAは今、再び日本で活動を始めようとしてる。12年前と違って、メンバーはみんな30代になった。年齢的には、もう「アイドル」と呼ぶには微妙なのかもしれない。でも、彼女たちが「家族」と言ってくれる限り、私はQUEEN'Sであり続ける。
そして、この12年で私も大人になった。推し活にかけるお金も時間も、昔ほどは取れないかもしれない。でも、家族に会う時間を惜しむ人はいないでしょ? それと同じで、T-ARAに会える時間は、これからも大切にしていきたい。
「家族」を疑うことをやめたら、世界が広がった
あの夜、私は「家族」という言葉を疑うのをやめた。そして、疑うのをやめた瞬間、今まで見えなかったものが見えるようになった。
例えば、メンバーがファンに向けて書いた手紙の一言一言が、全部「家族」への愛情に見える。ライブで客席を見渡すときの目線が、ただのパフォーマンスじゃなくて、本当に「帰ってきた」って安心してるように見える。
そう思うと、推し活はもっと楽しくなる。だって、家族と過ごす時間に、コスパとかタイパとか、考えないでしょ? ただ、一緒にいるだけで幸せなんだから。
これからのT-ARAと、私たちの「家族」のカタチ
今後のT-ARAの活動は、まだ詳細が決まってない部分も多い。でも、少なくとも彼女たちは「帰ってくる」と約束してくれた。私たちファンは、その約束を信じて、ただ待ってればいい。
そして、もしまた何かが起きて、彼女たちが離れ離れになることがあったとしても、もう怖くない。だって、家族は離れていても、ずっと家族だから。会えなくても、心は繋がってる。12年間で、それを彼女たちが証明してくれたんだから。
これからも、私はT-ARAの家族の一員でいようと思う。たとえ言葉を疑う夜があったとしても、最終的には「信じる」ことを選びたい。それが、12年分の「おかえり」に応える、ファンとしての私なりの答えだから。
あなたにも、家族と呼べる推しがいますか?
もしこの記事を読んでるあなたが、まだ「家族」という言葉を疑ってるなら、一度だけ信じてみてほしい。推しが言う「家族」は、案外本気かもしれないから。そして、その言葉を信じたとき、推し活はもっと深くて温かいものになるはずだ。
私はこれからも、T-ARAの帰りを待つ。そして、次に彼女たちが「ただいま」って言ったら、迷わず「おかえり」って言う。12年前と同じように、今度はもっと大きな声で。