12年目の「1曲だけおかわり」実験

T-ARAを聴き始めて12年になる。ふと、自分の中で「どの曲を聴くか」の選び方が変わってきたことに気づいた。昔はアルバムを通しで聴いていたのに、今は「まず1曲だけ選んで、物足りなければもう1曲」という“おかわり方式”で再生することが増えた。これ、満足度は上がっているのか。そう思って1週間、意識してこの聴き方を続けてみたら、3曲目あたりで妙に満足感が頭打ちになる感覚があった。今日はその正体を、行動心理学の言葉を借りながら一緒に考えてみたい。

「もっと聴きたい」が止まらなくなる仕組み

可変比率強化スケジュールという落とし穴

行動分析学には「可変比率強化スケジュール(variable-ratio reinforcement)」という有名な概念がある。簡単に言うと、「何回かに1回、予測できないタイミングで報酬が来る」パターンのこと。スキナーの時代から知られている通り、この不規則な当たり外れは、毎回確実に報酬が来るパターンよりも行動を粘らせる力が強い。

T-ARAの「おかわり方式」にこれを当てはめると、こうなる。1曲目を選ぶとき、私たちは無意識に「今日の当たり曲」を探している。『Bo Peep Bo Peep』が刺さる日もあれば、『Roly-Poly』が妙に沁みる日もある。この「今日はどれが当たるかな」という小さな期待が、次の1曲、また次の1曲へと指を動かさせる。問題は、この仕組みが「もっと聴きたい」という前向きな動機ではなく、「当たりを引くまでやめられない」という反射的な動機にすり替わりやすいことだ。

12年目に起きていること

ここが12年目特有のねじれだ。聴き始めた頃は、そもそも知らない曲が大量にあって、1曲ごとの情報量が濃かった。ところが12年も経つと、全曲のイントロを0.5秒で当てられるくらいには知っている。つまり「当たりを引く」という不確実性が、実はかなり減っている。可変比率の強化力は、不確実性があってこそ発揮される。予測できるようになった途端、この仕組みは静かに効き目を失っていく。なのに体には「おかわりで満足を得る」癖だけが残っている。これが3曲目で頭打ちになる一因だと、私はにらんでいる。

なぜ「3曲目」なのか

損失回避が選択を歪める

ここで登場するのがカーネマンとトヴェルスキーの「損失回避(loss aversion)」だ。人は同じ大きさの得よりも、損を強く感じる。これは聴曲の選択にも顔を出す。

たとえば2曲目を聴き終えた時点で、あなたの頭の中には「ここでやめると、まだ聴いていないあの曲の“今日の良さ”を逃すかもしれない」という小さな損の予感が生まれる。この予感が、3曲目へのスイッチを押す。ところが3曲目を再生してみると、期待したほどの「当たり」ではないことが多い。すると今度は「ここでやめたら、さっきの2曲の満足も台無しになる気がする」という別の損失回避が働き、4曲目へ。この連鎖が、満足度の頭打ちと裏腹に再生だけを伸ばしていく。

「サンクコスト」ではなく「期待のサンクコスト」

よく似た概念にサンクコスト(埋没費用)があるが、聴曲の場合は少し違う。埋もれているのは時間やお金ではなく、「今日の当たりを引き当てられるはずだ」という期待そのものだ。私はこれを勝手に「期待のサンクコスト」と呼んでいる。1曲目と2曲目で築いた「今日はいい日になる予感」を、3曲目で回収したい。回収できないと、その予感が無駄になった気がして、もう1曲と続けてしまう。12年目になると、この「予感の築き方」が上手くなっている分だけ、回収への執着も強くなりやすい。慣れは満足の敵にも味方にもなる、いい例だと思う。

競技としての「選曲」を楽しむ発想

リスクを取る遊びに変える

ここまで読むと「おかわり方式はやめたほうがいい」という結論に見えるかもしれないが、そう単純でもない。私はこの聴き方を、ある種の「競技」として捉え直すのが面白いと思っている。

たとえば、あらかじめ「今日は3曲だけ」と上限を決めてしまう。その上で、1曲目は定番、2曲目はあえて久しぶりの曲、3曲目は普段スキップしがちな曲、と配分を自分で設計する。これは不確実性を「偶然に任せる」のではなく「自分で賭け方を決める」という、リスクテイクの遊びに近い。行動経済学でいう「選択の設計(choice architecture)」を、自分の再生リストに適用するイメージだ。

実際にやってみた結果

1週間、この「3曲上限+配分設計」ルールで聴いてみた。正直に書くと、最初の2日は物足りなかった。「もっと聴きたい」という反射がまだ残っていて、3曲目で終えると妙にそわそわした。ところが4日目あたりから、3曲目を「今日の締め」として選ぶのが楽しくなってきた。締めの1曲を自分で選ぶ感覚があると、その曲の印象が妙に濃く残る。頭打ちだった満足度が、曲数ではなく「選び方の納得感」で決まるようになった気がしている。

これは研究の引用というより実感だが、行動経済学の「プロセス効用(procedure utility)」、つまり結果そのものより“選んでいる過程”が満足に効くという考え方に近い。受け身でおかわりを繰り返すより、自分で配分を決めるほうが、同じ3曲でも満足の質が変わる。12年目に必要なのは、新しい曲との出会いよりも、この「選び方の更新」なのかもしれない。

12年目を「頭打ち」で終わらせないために

では、これからどう聴いていくか。私は「おかわり方式」を捨てるのではなく、条件を変えて残すことにした。

ひとつは、上限を「曲数」ではなく「時間」で区切ること。3曲という縛りは、曲の長さがバラバラなT-ARAには案外合わない。15分と決めてしまえば、長い曲を1曲だけ選ぶ日もあれば、短い曲を3曲選ぶ日もある。区切りが自分の中の「選ぶ理由」になる。

もうひとつは、月に一度「知らない曲の日」をつくること。12年目でも、アルバムの最後のほうの曲や、シングルカップリングは意外と記憶が薄い。不確実性を自分で補充するイメージだ。可変比率の強化力は、不確実性があってこそ。ならば、慣れで失った不確実性を、意識的に取り戻せばいい。

そして最後に、「今日の当たりを引けなかった日」を記録しておくこと。地味だが、これが一番効いた。外れの日を可視化すると、「当たりを引くまで続ける」反射が弱まる。損失回避は、損を“見える化”すると効き目が薄れることが知られている。聴曲に応用できるかは自分次第だが、試す価値はあると思っている。

12年目は、曲を知り尽くした分だけ、聴き方の工夫が効く時期だ。おかわりを重ねるのではなく、おかわりの“設計”を楽しむ。次の1曲を選ぶ指が、少しだけ賢くなった気がしている。