2012年に「Bo Peep Bo Peep」で日本デビューしてから、はや12年。T-ARAというグループ名を聞いて、まず誰の顔を思い浮かべるだろう? 6人だった頃のステージを覚えている人もいれば、ソヨンとジヨンの2人体制しか知らないという人もいるはずだ。卒業していったメンバーと最後まで残ったメンバー、同じ“T-ARA”という看板を背負いながら、12年目の景色はどう違って見えているのか。今日はそんな角度から、あのグループの「その後」をのぞいてみたい。

そもそもT-ARAの“卒業”はなぜこんなに多いのか

T-ARAのメンバー変遷をざっくり振り返ると、2009年のデビュー時は6人。その後、ファヨン、ジョンア、ソヨン、ボラム、キュリ、アルム…と、実に多くのメンバーが入れ替わりながら活動してきた。韓国アイドルの世界では脱退や加入は珍しくないけれど、T-ARAの場合は「訴訟」「いじめ疑惑」「事務所との確執」といった重いテーマがつきまとった時期が長く、単なる“円満卒業”では語れないケースが多かった。

だからこそ、卒業した組と残った組の「景色の違い」がはっきり出る。円満に送り出されたメンバーは、その後もグループの話題に前向きに触れることが多い。一方で、揉めながら去っていったメンバーは、しばらくグループ名すら口にしない時期があった。同じ“元T-ARA”でも、背負っているものがまったく違うのだ。

ここで一つ、象徴的なエピソードを挙げたい。2017年、ボラムとソヨンが契約満了で事務所を離れたとき、当時のファンコミュニティは「ついに6人の時代が完全に終わる」と静かにざわついた。派手な会見も、涙のメッセージもなかった。ただ静かに、ページがめくられた。あの静けさは、逆にリアルだった。

「残った組」が背負ったもの

残った側、つまりキュリ、ウンジョン、ヒョミン、ジヨン、そして後から加わったソヨン(※同名の別人ではなく、加入メンバーのソヨン)といった面々は、常に「減っていくグループ」を見送る側だった。これは想像以上にしんどい。ステージに立つたびに「前はここに誰かがいた」という感覚がつきまとう。しかも韓国アイドルの場合、脱退のたびに「グループの空気が悪いのでは」と外野に勘ぐられる。

それでも彼女たちは活動を続けた。2017年の「What's My Name?」は4人体制でリリースされたアルバムで、私個人としてはT-ARAの“第二のピーク”だったと思っている。派手さはないけれど、声の重なりが妙に生々しくて、聴くたびに「この人たちは本当に残ってくれたんだな」と感じる。

卒業組の12年目:それぞれの“自由”の形

卒業していったメンバーは、今どんな景色を見ているのか。代表的なところを挙げていこう。

ファヨン:演技と中国市場という選択

初期のセンター的存在だったファヨンは、脱退後すぐに中国市場へ軸足を移した。ドラマやバラエティに出演し、SNSでも精力的に発信している。彼女の12年目は、完全に“ソロ俳優”の景色だ。日本のファンからすると「あのファヨンが」と思うかもしれないが、中国では彼女の知名度は依然として高く、T-ARA時代の知名度をうまく“翻訳”できた稀有な例と言える。

ソヨン:ソロ歌手としての再出発

初期メンバーのソヨンは、脱退後にソロ歌手として活動。ダンスナンバーからバラードまで幅広く挑戦している。彼女の強みは、T-ARA時代に培った“ステージ映え”をそのまま持ち込めるところ。グループを離れても、ステージに立つときの空気の作り方を知っている。これは卒業組の中でも際立っている。

ボラム:静かな日常を選んだ人

ボラムは脱退後、芸能の第一線から少し距離を置いた生活を選んだように見える。SNSの更新も頻繁ではない。でも、たまに上がる写真からは、グループにいた頃よりもリラックスした表情がうかがえる。「アイドルを辞めた」のではなく「アイドルを卒業した」という言葉がしっくりくるタイプだ。

ここで大事なのは、卒業組の“景色”は決して「敗者のその後」ではないということ。むしろ、グループという枠から解放されて、自分に合った速度で生きている人が多い。12年目にして、ようやく自分のペースをつかんだ、という印象すらある。

キュリとウンジョン:残り続けた側の現在地

一方、長く残ったキュリとウンジョンは、グループ活動が事実上ストップした後、それぞれ俳優業やバラエティへとフィールドを移した。彼女たちの12年目は「T-ARAの看板を背負いながら、個人として立つ」という難しいバランスの上にある。グループ名が話題になるたびに「今何してるの?」と聞かれる。それは知名度の証でもあり、同時に呪いでもある。

「家族」という言葉が重すぎたグループ

T-ARAはよく「家族のようなグループ」と紹介された。実際、メンバー同士の仲の良さを強調する場面は多かった。でも、家族という言葉は、時に重すぎる。家族は簡単に抜けられないし、抜けたら“裏切り”のように扱われる。グループを卒業したメンバーが、しばらくT-ARAの話をしなかったのは、この“家族”という呪縛から距離を置きたかったからではないだろうか。

残った組もまた、家族の一員として「守らなければならないもの」を背負った。卒業組が自由を手に入れた12年目なら、残った組は責任を手に入れた12年目だ。どちらが良いとか悪いとかではない。ただ、見ている景色の方向が違う。

数字で見る“差”

少し冷たい話をすると、グループとしてのリリース数や公演数は、2017年以降、明らかに減っている。これは卒業組・残留組のどちらが悪いという話ではなく、事務所の方針、市場の変化、メンバーの年齢、いろんな要素が絡んだ結果だ。ただ、ファンとしては「もっと見たかった」という気持ちがゼロではない。その気持ちを抱えながら、それぞれの12年目を応援するのが、今のT-ARAファンのスタンスだと思う。

まとめではなく、これからの話をしよう

卒業組と残った組、12年目の景色は確かに違う。でも、その違いは「勝ち負け」ではない。卒業した人は自分だけのステージを探し、残った人はグループの灯を絶やさないようにしながら、自分の道も切り開いている。どちらも、2009年や2012年の頃には想像できなかった景色だ。

これから先、T-ARAという名前が完全に消える日が来るかもしれない。あるいは、記念日に一夜限りの再集結があるかもしれない。どちらでもいい。大事なのは、あの頃ステージで笑っていた6人(あるいはそれ以上)が、それぞれの12年目をちゃんと生きているという事実だ。

もしあなたが昔のT-ARAが好きなら、一度だけ、卒業したメンバーの近況を検索してみてほしい。そして残ったメンバーのSNSものぞいてみてほしい。同じグループから巣立った人間が、まったく違う空気の中で呼吸している。それが見えたとき、12年という時間の重みが、少しだけ優しく感じられるはずだ。