シャッフル再生の3曲目、なぜ迷うのか

T-ARAの曲をプレイリストに入れてシャッフルで聴いているとき、3曲目あたりで「あれ、自分はいちばん好きな曲を本当に選べているんだろうか」と急に自信がなくなることがある。1曲目は勢いで決まるし、2曲目までは前の曲の余韻で判断できる。でも3曲目になると、さっきまで「これが推し」と思っていた基準がゆらぐ。この現象、ただの気まぐれではなくて、人の意思決定のクセが音楽の聴き方にそのまま出ているんだと思う。

判断が「ぶれる」のは、記憶が再生のたびに書き換わるから

想起は検索ではなく再構成

認知心理学では、記憶は「録画を再生する」のではなく「その都度つくり直すもの」だと考えられている。エリザベス・ロフタスの有名な実験では、出来事のあとに与えられた情報が、その出来事そのものの記憶を書き換えてしまうことが示された。自動車事故の映像を見せたあと、「ぶつかった」ではなく「激突した」という言葉で質問すると、後から「ガラスが割れていた」と誤って記憶する人が増える、というやつだ。

これをT-ARAのプレイリストに当てはめると分かりやすい。1曲目の「Bo Peep Bo Peep」を聴いているとき、頭の中ではすでに過去のライブ映像やMV、歌番組の記憶が引っ張り出されている。その記憶は、いま聴いている音に引っ張られて微妙に形を変える。2曲目で「Roly-Poly」が来れば、さっきまで「Bo Peep Bo Peepが一番」と思っていた基準が、「いや、Roly-Polyのサビの高揚感のほうが自分の好みに近いかも」と上書きされる。3曲目に「Lovey-Dovey」が来たころには、最初に持っていた「推し」の輪郭が、直前の2曲の印象で塗り替えられている。だから3曲目で判断がぶれるのは、意志が弱いからではなく、記憶が再生のたびに再構成されるという脳の仕様のせいだ。

順番が評価を決める「系列位置効果」

もうひとつ効いているのが系列位置効果だ。人はリストの最初と最後の項目をよく覚えていて、真ん中は忘れやすい。シャッフル再生でも、プレイリストの1曲目と、いま流れている曲の直前の曲は印象に残りやすい。つまり3曲目は「直前の2曲目」の影響を強く受けながら、まだ「最後の曲」にはなっていない中途半端な位置にある。ここで「推し」を決めようとすると、直前に聴いた曲の余韻に引っ張られる。T-ARAのようにフックの強い曲が続くグループでは、この引っ張られ方がとくに大きい。

報酬が「たまに」だから、確認をやめられない

変動比率強化という仕組み

行動心理学でよく知られているのが、変動比率強化(variable-ratio reinforcement)だ。毎回必ず報酬がもらえるより、回数がランダムでときどきもらえるほうが、行動は長く続く。スキナーの実験室のハトも、レバーを押せば必ず餌が出るより、押した回数の平均でときどき出るほうが、レバーを押し続けた。

シャッフル再生は、この変動比率の構造をそのまま持っている。次にどの曲が来るか分からない。だから「次こそ、いまの気分にぴったりくるT-ARAの曲が来るかもしれない」と思って、スキップせずに聴き続ける。そして3曲目あたりで「この曲が来たということは、自分の推しはこれなのか?」と確認したくなる。でも次の曲でまた基準が動く。確認しても確定しないから、また次の曲で確認する。この「たまに当たる」感覚が、推しを決めきれないまま再生を続けさせる。

決定を先延ばしにする心地よさ

ここで面白いのは、推しを決めないこと自体が報酬になっている点だ。決めてしまえば、その先の曲は「比較対象」ではなくなる。でも決めなければ、どの曲にも「推しになる可能性」が残る。行動経済学でいうところのオプション価値みたいなもので、選択肢を保持しておくことには心理的な得がある。T-ARAのように曲の幅が広いグループだと、この未確定の状態が長く続く。3曲目でぶれるのは、決断を避けて選択肢を持ち続けようとする心の動きが、ちょうどそのあたりで表面化するからだ。

「いちばん好き」を選ぶとき、人は何と比べているのか

比較の基準が固定されない

カーネマンとトヴェルスキーのプロスペクト理論で知られるように、人の評価は絶対値ではなく、基準点からの相対で決まる。同じ曲でも、直前に聴いた曲が何かで「よく聴こえる」か「地味に聴こえる」かが変わる。T-ARAの「Number Nine」を単体で聴けば荘厳でかっこいい。でも直前に「Sugar Free」のあのビートを聴いていたら、同じ「Number Nine」が少し落ち着いて聴こえる。逆に、静かな曲のあとに来れば、いつもより強く響く。

3曲目で推しの判断がぶれるのは、この基準点がまだ固まっていないからだ。1曲目と2曲目で基準点がつくられ、3曲目でようやく「自分は速い曲が好きなのか、それとも切ない曲が好きなのか」という問いが立ち上がる。でもその問いに答えるための比較材料は、まだ2曲分しかない。情報が足りないまま結論を出そうとするから、ぶれる。

損失回避が「変更」をためらわせる

もうひとつ、損失回避も効いている。何かを「推し」と決めたあとで別の曲に乗り換えるのは、これまでの推しを失うように感じられる。カーネマンの研究では、同じ大きさの得より損のほうが強く感じられる。だから2曲目までで「やっぱり自分はこれ」と一度決めてしまうと、3曲目で「こっちのほうがいいかも」と思っても、簡単には乗り換えられない。逆に、まだ決めていない人は、乗り換える痛みがないぶん、3曲目でまた迷う。どちらのタイプでも、3曲目は判断が揺れるポイントになる。

T-ARAの曲順が生む、独特の「揺らぎ」

ジャンルの振れ幅が大きいから迷いやすい

T-ARAのディスコグラフィを思い返すと、曲調の振れ幅がかなり大きい。「Bo Peep Bo Peep」のキャッチーさ、「Roly-Poly」のレトロな疾走感、「Cry Cry」のドラマチックな展開、「Day by Day」の幻想的な雰囲気。同じグループなのに、聴いているときに求めるものが曲ごとに変わる。この振れ幅が、シャッフルでの「推し」判断を難しくする。もし全曲が同じ路線なら、3曲目でも基準はぶれにくい。でもT-ARAは1曲ごとに「いま自分が欲しいのはこれだ」と思わせる力が違う。だから順番が変わるだけで、推しの輪郭も変わる。

実際に試したこと

先週、通勤中にT-ARAの曲を全部シャッフルにして、3曲目が終わるたびに「いまの推しはどれか」をメモする、というのを5日間やってみた。結果は、5日とも3曲目で推しが変わった。1日目は「Bo Peep Bo Peep」、2日目は「Roly-Poly」、3日目は「Lovey-Dovey」、4日目は「Number Nine」、5日目は「Sugar Free」。しかも面白いことに、4日目に「Number Nine」を選んだとき、直前に聴いたのは「Cry Cry」だった。あの2曲が並ぶと、どうしても「Number Nine」の荘厳さが際立つ。逆に5日目に「Sugar Free」を選んだときは、直前に「Bo Peep Bo Peep」が来ていた。軽快な曲のあとの硬質なビートが、いつもより鋭く感じられた。

これは偶然かもしれない。でも、少なくとも自分の場合は、3曲目という位置が「まだ基準が固まっていないのに、そろそろ決めたい」という心理的な圧力を生んでいた。そしてその圧力が、直前の曲の印象に引っ張られる形で「推し」を選ばせていた。

ぶれることを前提に、聴き方を変えてみる

「推し」を固定しない聴き方

ここまで書いてきたことを踏まえると、3曲目で推しがぶれるのは、むしろ自然なことだ。記憶は再生のたびに書き換わるし、報酬はランダムで、比較の基準はまだ固まっていない。だったら「推しを決めなきゃ」と思うのをやめて、「いま流れている曲がいちばん好き」という状態を毎回リセットするほうが、音楽の楽しみ方としては素直かもしれない。

具体的には、シャッフルで3曲目が来たときに「この曲が推しだ」と決めるのではなく、「この曲を聴いているあいだは、この曲が推しだ」と考える。次の曲が来たら、またその曲を推す。T-ARAのように曲の振れ幅が大きいグループなら、このほうがむしろ自然で、1回の再生で何度も「いちばん好き」を体験できる。

順番を自分で選ぶという手もある

とはいえ、シャッフルのランダムさを楽しむのも、それはそれでいい。ただ、もし「自分は本当はどの曲が好きなのか」を確かめたいなら、シャッフルではなく順番を自分で決めて聴くほうがいい。たとえば「Bo Peep Bo Peep」から「Roly-Poly」「Lovey-Dovey」と年代順に並べる。すると、さっきまで3曲目でぶれていた判断が、意外と安定する。順番が固定されると、比較の基準も固定されるからだ。

逆に、あえてシャッフルで聴き続けて、3曲目でぶれる自分を観察するのも面白い。行動心理学の実験みたいに、「いま自分は直前に聴いた曲に引っ張られているな」とメタに眺めると、判断のクセが見えてくる。T-ARAの曲を聴くという行為が、自分の意思決定の観察装置になる。そんなふうに捉えると、3曲目で推しがぶれるのも、ちょっと楽しい現象に思えてくる。

次にシャッフルでT-ARAを聴くときは、3曲目が来た瞬間に「いまの自分は何に引っ張られているか」を一度考えてみてほしい。そして、そのまま4曲目に進んで、また推しが変わるのを眺めてみる。たぶん、また変わる。それでいい。