T-ARAのMVを流しながらふと、「これ、再生数を隠して聴くのと見ながら聴くのって、同じ体験なんだろうか」と思った。別に深い理由があったわけじゃない。ただ、YouTubeの画面に数字が出ている状態で次々と曲を送っていくうちに、自分の中で「次はどれにするか」の判断基準が、はっきりと変わっていくのが分かったのだ。12曲流して、7曲目あたりでその変化は起きた。今回はその「選曲の基準が変わる瞬間」を、行動心理の話を挟みながらゆるく掘っていく。
数字が見えると、人は「好き」より「確認」で動き出す
最初の数曲は素直だった。「Bo Peep Bo Peep」を聴きたいから流す、「Roly-Poly」が頭に浮かんだから流す。再生数なんてチラッと見るだけで、選ぶ理由にはなっていない。ところが6曲目を過ぎたあたりから、画面の数字が妙に意識に引っかかり始める。あの曲は思ったより回ってないな、こっちはやたら数字がデカいな、という具合に。
これは別にT-ARAに限った話ではなくて、行動心理学でいう「測定が行動を変える」現象の一種だ。有名なところだと、職場で「生産性を測ります」と宣言した途端に、人は測られやすい作業に行動を寄せる。心理学者のドナルド・キャンベルが言った「キャンベル効果」——指標が目標になると、指標そのものが歪む——に近い。再生数という指標を目の前に置かれた瞬間、私は「聴きたい曲」ではなく「数字を確認したい曲」を選び始めていた。
7曲目のとき、私は無意識に「再生数の並びを一度整理したい」と思って、あえて数字の小さい曲を選んだ。ここで選曲の主語が「私の好み」から「数字の並び」にすり替わったわけだ。自分でもちょっと笑った。
可変比率の罠、あるいは「次こそ当たり」の感覚
もう一つ、この体験には別の心理が絡んでいる。曲を送るたびに数字が変わる、あの小さなフィードバックだ。スキナーの可変比率強化(variable-ratio reinforcement)——報酬がランダムな間隔で与えられると、行動が最も消えにくくなる——は、まさにこの「次の曲で数字がどう動くか分からない」状態に当てはまる。全部が当たりでも全部が外れでもなく、たまに「お、この曲伸びてる」という小さな発見があるから、つい次の曲へ手が伸びる。
T-ARAの曲はもともとフックが強い。「Sexy Love」のサビ也好、「Number 9」のイントロ也好、聴けばテンションが上がる。だからこそ、その「上がった」という体感と、画面の数字が結びついてしまう。快の体験に数字というラベルが貼られると、人はそのラベルを後から追いかけ始める。これは別に悪いことじゃないんだけど、純粋に曲を楽しむ回路とは別の回路が同時に動いている、という自覚はあったほうがいい。
プロスペクト理論で説明すると、選曲は「損失回避」に寄っていく
ここで少し真面目な話を挟む。ダニエル・カーネマンとエイモス・トベルスキーのプロスペクト理論では、人は同じ大きさの得より損失を強く感じる(損失回避)。そして、基準点から下に外れると、それを取り戻そうとしてリスクの高い選択をしがちになる。
これを選曲に当てはめるとこうだ。私は頭の中で「この曲はこれくらい再生されていて当然」という基準点を、勝手に作っていた。で、その基準より数字が低い曲が流れると、なんだか損をした気分になる。そこで「じゃあ次は数字の大きい曲を」と、無難な選択に寄る。逆に、基準より上回る曲が来ると気分が良くて、今度は「もっと上を狙える曲はないか」と冒険したくなる。つまり選曲が、曲の魅力ではなく、直前の数字との差分で決まる。完全に基準点に振り回されている。
12曲流した中で、いちばん分かりやすかったのはこの往復だった。数字が低い曲のあとに無難なヒット曲を置き、そこで気を良くしてマイナー曲に手を出し、また数字に一喜一憂する。冷静に振り返ると、私がやっていたのは「T-ARAを聴くこと」ではなく「再生数の波を眺めること」に近かった。ここが、この記事で一番書きたかったポイントだ。
数字を隠すと、選曲はどう変わるか
試しに、途中から画面の数字を手で隠して(正確にはブラウザの表示を切り替えて)同じように流してみた。すると選曲のテンポが明らかに変わった。数字を確認するために一拍置く必要がなくなるから、曲から曲へ移るのがスムーズになる。そして何より、「次はこれ」という判断が、直前の数字ではなく、今の気分や前の曲とのつながりで決まるようになる。これは体感としてかなりはっきり違った。
研究で言えば、選択肢が多いときや評価指標が目の前にあるとき、人は「最大化(maximizing)」志向に傾き、満足度が下がるという話が知られている(バリー・シュワルツの『選択のパラドックス』あたり)。再生数という評価指標を常時表示するのは、聴く行為そのものに「最大化」のスイッチを入れてしまう。隠すだけで、そのスイッチが切れる。原始的な話だけど、効く。
競技としての「再生数」と、ファンの楽しみ方は別物でいい
ここで少し視点を広げたい。再生数は、アイドルグループにとって一種のスコアだ。T-ARAのように楽曲のクオリティで長く聴かれ続けてきたグループは、数字が積み上がっていく過程そのものがファンにとっての物語になる。どの曲が伸びた、どの曲が隠れた名曲だった、という語りは、ファン同士の共通言語として機能する。これはこれで健全だし、楽しい。
ただ、その「スコア」を眺めるモードと、純粋に曲を浴びるモードは、脳の中では別の回路が動いている。前者は評価と比較、後者は没入と情動。両方あっていいんだけど、常に前者が混ざると、後者が痩せていく。私が7曲目で選曲基準を変えてしまったのは、前者が後者を上書きした瞬間だった。ファンとして、これはちょっと勿体ないことをしたな、と思っている。
競技的な楽しみ方を否定する気はない。再生数を伸ばすためにみんなで聴く、というのはれっきとした遊びだ。ただ、それが「聴きたいから聴く」を置き換えてしまうと、長い目で見て自分の楽しみが痩せる。数字は手段であって、目的じゃない。当たり前のことを、12曲流しただけで実感してしまった。
小さな実験を、自分の聴き方に組み込む
じゃあどうするか。大げさな話ではなくて、聴き方を少しだけ設計するといい。私が試して効いたのは三つ。
一つ目は、「数字を見ない時間」を先に確保すること。最初の3曲は絶対に数字を隠して流す、と決める。最初の数曲は選曲の勢いがつく時間帯なので、ここを数字から守るだけで、その後の聴き方が変わる。
二つ目は、選曲の理由を一言だけ口に出すこと。「この曲のサビが聴きたいから」でもいいし、「さっきの曲と雰囲気が違うから」でもいい。理由を言語化すると、それが数字由来なのか気分由来なのかが自分で分かる。案外、口に出した瞬間に「あ、これ数字見て選んでたわ」と気づく。
三つ目は、順番を固定したプレイリストを一つ持っておくこと。選ぶ余地をなくすと、評価の回路が入り込む隙間が消える。T-ARAなら、アップテンポとバラードを交互に置いた固定リストを一本作っておくと、迷わずに済む。
数字の外側に、聴く行為の本体がある
12曲流して分かったのは、再生数が見えている状態の選曲は、どうしても「直前の数字との差分」に引きずられる、ということだった。可変比率のフィードバック、損失回避、最大化志向。どれも人間の側のクセであって、T-ARAの曲が悪いわけじゃない。むしろ曲が強いからこそ、数字というラベルが貼られたときに、そのラベルを追いかけたくなる。
これから先、音楽を聴く環境はもっと数字に囲まれていくんだろうと思う。再生数、いいね、保存数、レコメンドのスコア。それ自体は便利だし、使わない手はない。ただ、聴く行為の本体は、数字の外側にある。7曲目で基準が変わったあの感覚を覚えておけば、次に同じことが起きたとき、「あ、今スイッチが入ったな」と自分で気づける。気づければ、そこで一度数字を隠して、もう一度サビから聴き直せる。その小さな往復が、たぶんこの先もT-ARAを聴き続けるための、地味だけど効く習慣になる。